今回たまにはクリエーターらしくイラスト作品制作の事などを話してみたい思うけど。
少々、長文ブログになりますが、お付き合い願えれば、ありがたいです。
まあ、普段このブログではできるだけ、クリエイティブな作画の事や作品制作のネタは書かないで、クリエーター視点から見たいろいろな考え方を発信しているんだけど。
従来のクリエイティブな思考部分のブログネタと被る部分は有るんだけど。今回はクリエイティブ思考を深堀する話しとなている。
さて、話しを始めたいんだけど。
僕はですね、年に数回イラスト教室のようなものを開催したりしているんです。
イラスト教室といえば、作画のテクニックや良いレイアウトの見せ方など、テクニカルな事は生徒さん達に教えたり…って言うのが定番かと思いますが。
だけど、既に作画など技術的な部分はレベルに達していて、先生に聞きたいのはそう言う部分じゃ無くて、発想や思考のヒントなどを求められている生徒さんが若干、居られたりするんです。
しかし、そう言う悩める生徒さん達に対して教えられる事はないんです!ただ僕ができる事はアドバイスを送って、そう言う生徒さん達が自身で悟って解決するしかないんですよ…
…と言うのも、技術的な事は答えがちゃんと有って教えることができます。しかし発想や思考をそれぞれ生徒さんたちが内面で持っておられる領域で悩まれている時に、他人の僕があれこれ言える事じゃないし、アドバイスを送って、悩まれている部分を本人が自分で解決されるしか方法はないんです。
そう言う時に、僕が送れるアドバイスは、せいぜい「しばらく作品制作を休んで、違う事を楽しみなさいよ…」ぐらいなんですよね。
そもそもクリエイティブな芸術活動では「絵を描くために絵を描いて無い」という事を忘れがちだったりします。要するに絵を描く事が目標になっちゃダメなんですよ。
訴えたい事、伝えたい事、その手段の一つが絵だと言う事なんですね。訴えたい事、伝えたい事が平面に収まり切らないなら、立体で表現したり、立体だけで物足りなければ、その立体を動かしたり…
絵は表現手段の一つに過ぎないんですよ。それを絵を描く事が目標になってしまっていたら、表現したい事自体が薄く浅いモノになっちゃうんです。
例えば、コンテストなどで連続受賞や入選をしたりして、結局は前回の作品を意識して、前作に習った変化の無いような作品になりがちで、筆が止まり進まなくなる事も良く有るし、それを誤魔化しながら続けていると、絵を描く事が義務になって絵を描く事が面白く無くなる…即ち、これがスランプってやつです。
だから、日頃から意識しておく事は「絵を描くために絵を描かない(義務的ならない)」或いは「絵を見て絵を描かない(感性の成長を阻害しない)」!
そう言う事を意識して、作品制作をしていると、それが薬になったりするんです。
だけどもしスランプになったら、焦らずに作画を休んで、それ以外の趣味などに没頭したりして、そうやって作品制作から離れる事により、一旦リセットして、スランプの沼から脱してから、新たに作品制作をした方が、のたうって苦しまずにすむんです。
この絵画やイラスト以外のジャンルからインスパイアを受けてクリエイティブな芸術的手法でその事を表現すると言う事は、表現活動の基礎の基礎!根幹でも有る分けです。
あくまでも絵画、イラスト、彫刻、映画、アニメ有りきで行動せずに、それらは表現手段の一種であって、クリエイティブの本質である思想、思い、感性など、訴える事の根幹を主体と考えておく事が肝心です。
まあ、しかしながら、人間という俗物は、好きな事に没頭するがあまり、その辺の基礎的根本を見失いがちで、スランプに陥りやすい生き物なんですよ。
そう言った上級者向けの事をイラスト教室の座談会セクションで相談を聞きアドバイスを送ったりするんです。
いろいろな、カルチャーセンターなどで教室を開かれて居たりしますが、その辺の
個性やセンスに関わる事をアドバイスされる事は無いと思います。
フゥ~…前置きが大変ながくなりましたが、ここから僕が作画やクリエイティブなモチベーションを保つ為の秘訣のお話しをしていきます。
ハッキリ言って個人的な趣味、思考の話しなので、え~~~って思っても、流してくださいねw
さて最初にも書きましたが。「絵を描くために絵を描かない」或いは「絵を見て絵を描かない」と言う事は、もちろん僕も実践している事で、このブログ投稿を見て頂ければわかるように、クリエーティブな思考は保ちつつも、表現活動以外事を、アレコレを書いております!
まあ言って見れば、個人的に興味がある趣味のブログという事なんですが。
でもそれが、浅く、広く、色々な情報を仕入れて、ボキャブラリーを肥やして、その中から醸し出されるイマジネーションなどをどう表現しようか…と試行錯誤するというトレーニングなんです。しかしそれらは面白くてストレスにもならず、それをどう表現するかが思考を巡らす事が面白くてしかたがない…という面では趣味なんですが。
人それぞれ、多彩な趣味をお持ちでしょうけど。僕の場合はアニメ、映画、小説、スポーツなど色々と多趣味を持っていて、それらは発想の肥しにもなり、ストレス解消になる薬でも有るのです。
そして僕の、今一番興味あって、或いは発想の肥しになっているのが「量子物理学」なんですよw
文系では無く理系の「物理学」…その中の「量子物理学」というジャンルなんですね
物理学?文系の芸術とは違う理系ですか…って思われますよね?w
記号や数字の羅列が理解できるのか…って思われるかも知れませんが。もちろん私は算数も数学も嫌で芸術に逃げたんです!数式なんて理解できません!
しかし、物理学の専門家たちが、推理と計算で導き出した世界の答えを分かりやすく解説されたりして、図形など数字では無くイメージで分かりやすく、事象のなどの理屈を解説してくれたりしているので、僕のように数字はチョット…的な人間でも理解しやすく説明解説などが有ったりして「凄いな!」って量子物理学という不思議な世界を理解させてくれて、興味深々なれるんですよ。
例えば、理系と文系をうまくつないだ、面白い作品が有るんですよ…
「チ。-地球の運動について-」というマンガ作品が正しく、天体の動きなど、物理計算基本を、上手く文系表現でドラマとして成立されていて、本当に面白いんですが。
まあ、簡単にネタバレしないで説明するとですね。中世ヨーロッパで地動説を唱える人々が宗教的弾圧に晒されながら、真実の宇宙を追及していくと言う、血と涙の物語なんです。
ガリレオ・ガリレイの話しは小学生時代に聞いたりしましたが、そう言う時代のお話です。
この作品を天文学の話しですが、天体観測には数学などを用いて惑星の周回軌道計算をしたり、衛星の周回時期を計算したり、数字に弱いから楽しむ事が出来ないから、楽しめないって事は無いですよ!計算が不得意でも面白い!そう言う作品なんです。
さて、なぜここで「チ。-地球の運動について-」という作品の話しそしたかというと。
現代の「量子物理学」が置かれている状況が「チ。-地球の運動について-」で宗教的に地動説が当時の常識として否定されていた、背景に少し似ているところが有るんですよ。
今までこの世の全ては数字で表す事ができる!…と言われて来た「物理学」…しかし、この世にある最小単位の物質「量子」が発見されてから、数字を用いても、本来の常識とされて来た理屈が通らない答えが導き出されたり、物理学の世界を大混乱させる量子の振る舞いが計算で確認されたり「量子物理学」の登場によって非科学的とまで疑われる事までも確認されたりしだしたのです!
クリエイターたるもの「常識を疑え!」「非常識を追求せよ!」を信念に生きて来た僕にとっては「量子物理学」は大好物間違いなし!のジャンルなんですよw
ズバリ!ここで本当に言っておきたいのですが「量子」は面白いって事につきます!
さて「量子」とは何ぞや!?… 「量子」は粒子と波の特徴を合わせもった、この世に存在する物質、或いはエネルギーの最小単位なんです。現在、確認されている一番小さい物なんですね。
水素原子よりもさらに小さい物質で、いたるところにホコリのように浮遊していたりするんですね。
そして、この「量子」の面白いところが、我々が存在するこの次元を「量子」の視点から見るとスポンジのように無数の穴が開いていて、その穴の事を「ワームホール」と呼ばれたりしているんです。ひょっとすれば、SFアニメや映画などで耳にされた方も居られるのではないでしょうか。
実は、この「ワームホール」より小さい「量子」は、その穴を通り抜けて行ったり来たりできてしまうんです!
この時点では「えっ!」ってなる人はいないですよね?穴より小さい「量子」なのですから、当然と言えば当然ですよねw
しかし問題は、この「ワームホール」を抜けた先に何が有るのか…って言う事なんですよ。
この「ワームホール」を抜けた先はいろいろ有るとされていて。ある時は「未来」だったり「過去」だったり、或いは、「宇宙の果て」だったり「別次元」だったり、ありとあらゆるところに通じているとされているのですね!
「えっ!ウソ!」ってなりましたか?w まるでSFの世界ですよねw
にわかには信じられないですよね。これがSF即ちサイエンスフィクションでは無くサイエンスファクトのSFなんですね。
これが、嘘のような本当の話し!僕が興味を示す「量子物理学」とはそんなジャンルなんです!
知的好奇心を湧き立たせるとは思いませんか!?
空想科学じゃなく、マジで冗談抜きで、数式と理論を駆使して、日々、量子物理学者さん達が常日頃から追い求めている驚異の研究が「量子物理学」なんですね。
例えば、量子研究で時間経過と量子の振る舞いを研究されていた学者さんが、検証の中から導き出された仮説では「時間は過去の積み重ねでは無くて、未来に引き寄せられている可能性が70%確率で有る」という研究結果をだされました。
もっと分かりやすく言えば「我々は生まれた時から死ぬ場所や死因までが決まっていて、その最後に向けての時間(人生)を過ごしている…」と言う仮説なんです。
このように量子物理学では、我々が日々信じて来た常識が覆る結果を導き出す事のあるのです。
まあ、こんな仮説には拒否反応を示されるかたも多いと思いますが。私などクリエーターにしてみれば、この上ないクリエイティブソースなんですねw
しかし、まだまだ量子物理学で立てられた仮説には。話しただけで異端者扱いされるようなネタも有りまして…
以前、とあるクリエーターさん達が集う新年会が有りまして。
宴席の余興として、ランダムに選出された参加者さんが、持ちネタを披露する…という余興が有ったのですが。
不幸にもその余興ネタを披露するお役目が、僕に来たわけです。
偶発的な余興だったのでネタなどの用意もしてなくて。ここ数年、興味深々の量子物理学を用いたネタでもご披露しようかな…と、とっておきの量子物理学ネタを話す事にしたんですよ。
そのネタと言うのが「シミュレーテッドリアリティ」或いは「シミュレーション仮説」などと言われる量子物理学を用いての証明を試みられているネタでして。
簡単に内容を言えば、我々が存在するこの世界は、実は「仮想世界」であり、我々は人間では無くAIであるという仮説なんです。
要するに我々はゲームの中のNPC…即ちRPGゲームのドラクエの中に出て来る村人Aであるというような仮説なんですね。
どうですが?「プッ!と吹きました?まじで!って思いました?www」いかがでした?
まあ、普通の人にこの話しをしたら、だいたいこう言う反応が返って来ます。
先にも書きました、クリエーターさんが集まった宴席で、この話しをした時の空気はそれ以上の雰囲気になってしまったんですよ。
本当にいたたまれなくなって、針の筵の舞台から冷や汗をかいて下りた…という経験があるんですw
「シュミレーション仮説」という物理学会を二分するような騒ぎになった事なのに、宴席に参加されていたクリエーターさん達はオカルト話しを真剣に話す「いかれた奴」的に思われていた事をヒシヒシ感じましたよw
でもね、宴席に参加されている方々は全員クリエーターさんなんですよ…
僕から見れば、お前らマジでクリエーターか?って逆に思いましたよw
クリエーターなのに脳みそカチンコチンかよ!想像力は無いのか?
仕事ばかりしてクリエーター脳に肥しをやらないから、そんな反応になるんだよ!
…まあまあ、個人的な愚痴はここまでにして、本題の「シミュレーテッドリアリティ」或いは「シミュレーション仮説」に学者たちがどんなアプローチで仮説を立証しようとしているのでしょうか…
物理学では、この世の全ては数字で計れるって言うのが基本なんだけど。しかし、その数字で計算して答えは出たけど…その答えが摩訶不思議で意味不明の答えが返って来ることが有るんです。
あの物理学の偉人アインシュタインすら悩みながら世を去った理論などが有るんですよ。
その理論とは「量子もつれ」と言われるこの現象なんですが。これは二つの量子が一度関係性を持てば、その二つの量子を宇宙の端から端まで引き離しても…別次元に分けて存在しても、一方が反応すれば、もう一方も時間のロスなく同時に反応する…というものなんです。
しかし、アインシュタインの特殊相対性理論では「高速度不変の原理」でどんな状態でも光の速度を越える事はできない…という理論と時差という概念を無視した「量子もつれ」現象が真っ向から衝突してしまうので、アインシュタインも頭を抱えてしまったって事なんです。
しかいアインシュタインの没後に目覚ましい進化を遂げたコンピューター技術が、現在も青天井で進化し続けていて、いずれは現実の見分けがつかない仮想世界を作る事もできるようになるのも時間の問題とされ、もしアインシュタインが今も生きていたら「仮想世界の話しで有るなら…」と安心して世を去る事もでしたでしょう。
ゴチャゴチャ…っと書きましたが「シミュレーテッドリアリティ」が実現すれば、ゲームで言うところの「ポーズ機能」でゲーム内時間を停止させてゲーム内の光りの速度を無視して量子もつれを起こしている量子同士を反応させる事も容易に可能だと言うことですね。
どうして、そう言うチートな機能が「シミュレーテッドリアリティ」の世界に採用されているのかは分かりませんが、「量子もつれ」現象の話しの辻褄を合わせる事は現代社会ではできてしまうという事です。
まあ、ひょっとすれば、この世界の創造主が「お前らの世界でもやってみろ…」というメッセージなのかも知れませんし…
或いは、仮想世界人がこの「量子もつれ」という現象に辿り着く事で仮想世界の文明の成熟度を測るというシステムなのかも知れませんね。
また、この「量子もつれ」の現象の他にも「シミュレーテッドリアリティ」の可能性を示唆されているのでは…?という不可解な物理現象もあります。
皆さん「シュレーディンガーの猫」って聞いた事はないですか?
これは理論物理学者の「エルヴィン・シュレーディンガー」が物理学的実在の量子力学的記述が不完全であるという事を、比喩的な説明を猫を使った思考実験で説明したものなんですが…って頭がこんがらがりますよねw
簡単に言えば、毒ガス(放射性物質)と生きた猫を一緒に鉛の箱に入れて密閉した場合。中のネコが死んでいるかどうかは、箱の蓋を開けて確認するまで、猫の生死は決定しないよ…って言う事を説いているのです。
それは、猫は蓋がしまっている間は生きているという考え方なんです。要するに人間が事象を観測するまで何も決定されないって言う量子物理学での考え方なんですよ。
そして、この「シュレーディンガーの猫」の考え方と合わせて考えると、より、この世界が仮想世界である可能性が濃くなる、もう一つの物理現象実験も有るのです。
それは「二重スリット実験」と言うものです。これは、粒子と波動の振る舞いの違いを実験する中で、粒子と波動、両方の特徴を持つ「光子」がどう振る舞うか…を実験した、これまた何なんだ?って言う、あまりにも不可解は答えが返って来る実験なんですよ。
その不可解な実験結果が「シミュレーテッドリアリティ」との関連性が有るのでは?と議論を呼んでいるんですね。
まあ、その詳しくは分かりやすく解説された動画や記事が有るので、それらの資料にお任せします。
【二重スリット干渉実験装置】
それでは「シュレディンガーの猫」と「二重スリット実験」がどうして「シミュレーション仮説」の証明に用いられるのか…?
その理由は現在の3DCGに用いられている、グラフィック表示容量節約の仕組みとの類似性が有る事なんですよ。
まあ皆さんは日頃は何の違和感もなく普通に私生活で目にし、或いは楽しんでいる、ゲームだとかアニメだとかイラストなど絵具も使わず資材も用いず、コンピューターの中で展開される仮想物質の世界はご存知ですよね、それがコンピューターグラフィックスなんです。
その中でコンピューターグラフィックスに、実在の世界観を求めた物が三次元のコンピューターグラフィックス、いわゆる3DCGと略されるジャンルの事です。
その3DCGは要するにXY座標をベースに表現される2Dの二次元表現にZ値で奥行きを足した3D、即ち三次元の立体表現の事なんだけど、2Dの平面表現とは違い、裏表が有り、奥行(空間)という概念が追加される事により、容量が2Dより大容量を要求されるんです、お察しいただけるかと思いますが、コンピューターが悲鳴をあげる事になりがちなんです。w
例えるならゲームの「スーパーマリオ(初期版)」より「Apex Legends」の方がデータ容量が大きくなる事はゲーム大好きフリークならば分かりますよねw
その3Dのバカでかい容量を出来るだけ減らして、PCへの負荷を軽減したい…そう言う考えに至るのは当然で、その対策の一つとして、立体を立体のまま表裏のすべてを計算して描画するのではなく、画像として視認する人が見えない部分は削除してしまおうという考え方を3DCGは採用しているんです。
要するにリアルタイム描画する時、人が見ていない物や風景を削除して、人が見た時に描画するというPCの負荷を軽減する仕組みなんですね。
例えば地球儀の見えている部分だけを描画して、その裏側を生成せずに、バッサリと切り取った半球にすれば、データ容量は球体の半分の50%カットできると言う考えです。
その見えていない部分を計算せずに「無」とする事により「シミュレーション仮説」の膨大なデータ量をだいたい50%カットしているのでは…という裏付けの例として「シュレディンガーの猫」と「二重スリット実験」が用いられて、推察されたりしているんですよ。
「シュレディンガーの猫」の人間が観測するまでは猫の運命は変わらないという事と「二重スリット実験」の粒子と波動の両方の特徴を持つ「光子」が人間の観測時と非観測時に振る舞いを変える現象は「有無の状態」とその状態移行の「スイッチ」を表しているのではないか…と言うこと。
これらは「シミュレーション仮説」がコンピューター内で動作している根拠では?と疑われている根拠だったりします。
まあ、こんな事を普段の会話の中で、さも本当だと語る奴が居たら異端視される事も分かりますが。
少なくともクリエーティブな想像性を持ち味としている人ぐらいは肯定的に聞けをって思うのですが…
さて、何時になく、長文のブログを書いて来ましたが。そろそろ終わりにして、最後の最後で根本的な話しをしますと。
我々の世界が本物の世界である可能性と、仮想世界である可能性を物理学的に数字で比較すると、本当に驚く結果になるんですよ。
宇宙に生命が誕生する確率が「10の4万乗分の1」そして、その生命体が文明を獲得する知的生命体になる可能性となると「ほぼ0%」に近い確率になってしまうそうです。
我々、人類はリアル世界の住人である事は本当に奇跡的な事なんですね。
そして、もう一方の我々人類が仮想世界に住むAIである可能性は…「2分の1(50%)」と言われているんです!
これが与太話ではなく物理学会で真剣に真偽が議論されている事なんです!
「ほぼ0%」と「2分の1(50%)」…心情的には信じたく無い数字ですよね。
この心情的には信じがたい結果の「シミュレーション仮説」即ち仮想世界の可能性がなぜ「2分の1(50%)」なのかと言いますと。
今現在のコンピューターの進歩と仮想現実を我々が住む世界と同等のクォリティに再現できる技術を将来、人類が獲得する可能性は「100%」確実に来るんです…
そして「シミュレーテッドリアリティ」の仮想世界を作れる未来は必ず来るという事です。
しかし、なぜその可能性が「2分の1(50%)」の確率なのか…
それは「シミュレーテッドリアリティ」の世界を実現の可能な技術を獲得していたとして。それを実現できない要素も存在するという事なんですね。
可能性の半分には恐ろしい可能性も秘められていたりします…
これこそ信じたく無いですが、何らかの理由で人類が滅びる…或いは、その他の原因で作れなくなった…という可能性…それが実現不可能の50%という事なんです。
今の世界情勢を見ても「人類が滅びる」可能性は実感が持てます。
そう考えると、思わずこの世が「シミュレーテッドリアリティ」で有ってくれ!と祈りたくなりますよね。
まあ事実、このようなオカルト的な話しと思われる議論が物理学界でされているんです。
しかしながら最初にも話しましたが、一般の人にこの話しをすると、宇宙人だの幽霊だのと同じ反応か返って来て異端視される事が常なんですw
僕に言わせれば「10の4万乗分の1」リアルワールドを信じているあんたらの方がオカルトなんだよ!って言いたい気分ですけどw
クリエーターの集まりでも、同じような反応が返って来るし。僕の周囲の環境は本当に「チ。-地球の運動について-」で描かれたテーマの異端者達の戦いと、21世紀の「シミュレーション仮説」論者の境遇がダブって見えてきます。
そもその「クリエーターなら常識を疑え!」って本当に言いたい所ですよ!まったくw
クリエイティブな発想の神髄は一般常識の外側にある!非常識で不条理の世界から生み出されるものがアーティスティックで有って。一般常識の範囲内でおもしろい事を発想する事は出来ない!
だから古来よりクリエイティブな業界では「常識に捕らわれない発想だ!」とか言う誉め言葉が有るのだと思いますよ。
そう言う誉め言葉が有る業界人が「シミュレーテッドリアリティ」の話しを聞いて嘲笑して異端視するなんて、お前ら本当にクリエーターか?って、ついつい思ってしまいます。
まあ、信じる信じないは人それぞれ自由なんですが。これからクリエーターを目指される方、或いは現在進行形でクリエイティブなジャンルで学ばれている方々は、常々柔軟な想像力と常識を疑う事を培って頂きたいものです。
こよなく常識に捕らわれない自由な発想を愛する方々と「シミュレーション仮説」をシェアできたら幸いです。