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クリエーターの脳内思考を垣間見せるブログです!

【アニメ】もうどうなってもいいや!「機動戦士gundam gquuuuuux(ジークアクス)」庵野秀明の「あいつら、やりやがった!!(ニヤリ!)」に見る、富野 由悠季 の高畑イズム or 庵野イズムの鶴巻 和哉 を考察!…複雑に絡み合う「ヤマアラシのジレンマ」のたうつ私…

 

もうどうなってもいいや!

 


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 前回、ブログに書いた「機動戦士gundam gquuuuuux(ジークアクス)」がもはや「シン外伝」と言っても過言では無い!…って事なんだけど。

 

 第11話の感想を庵野秀明監督がXにて「あいつら、やりやがった!!」とコメントしたんだよね。

 

 「えぇぇぇぇぇっ!庵野さん知らなかったの?」って驚いた!

 

 そうするとちょっと話が「チリチリ…」ときな臭い展開も出てきてしまう…

 

 鶴巻監督の後ろに庵野監督がいて、ある程度の富野監督に対しての配慮と言うか、アンタッチャブルなラインは調整されていると思っていたけど…

 

 だが…ちょっと微妙に不味い雰囲気がしてきた…

 

 僕も「機動戦士gundam gquuuuuux(ジークアクス)」は最高に面白いし、名作だと思う…しかし飽くまでも、一視聴者、一ガンダムファン、カラーファンの視点からの話しであって…

 

 まあ、自分の立場(関りの無い一般人)から「機動戦士gundam gquuuuuux」の捉え方はそれで良いんだけど。

 

 一応、僕もクリエイターの端くれ、という立場からどうしても見てしまう。

 

 まあ、その辺は心情的に複雑なんだけどね…

 

 初期段階の放送から分かっていたファーストガンダムとのパラレルワールドストーリーなんだけど、まあ、よく富野 監督が了承してくれたな…とその時は思っていたんだけど。

 

 最終話直前の数話で「あれれ…これ良いの?」「富野監督はこれ了承したの?」って言う部分がチラチラ見えてきて…おやおや…いや~それは…え~怒られないの?…ってw

 

 例えば、シャアのソロモン落としの阻止の一件である爆発?…いやこれは爆発じゃ無くて空間の切り取り現象だな…って直ぐに分かった。

 

 爆散してグチャグチャになるのでは無く、スッパっとくり抜かれたように、ソロモンの一部が綺麗にシャアと共に虚空へと消滅…ゼクノヴァ現象ってやつね!

 

 ハッキリ簡単に言えば「空間転移」な分けだけど…

 

  これ、庵野監督が知らなかったという事は、当然、富野監督も知らないハズだし…どうするのこれ…って正直思った!

 

 例えば、富野監督は今までSFながらも”リアル”を求めてガンダムを人生かけて製作されてきた分けで…

 そして、今まで一度もSFに有りがちな「テレポート」や「ワープ」と言った超常現象的な表現は一度も使って来なかったんですよ。

 

 このアニメにおけるリアルな表現という部分は空想科学にして、より解釈に説得力が有る表現を採用してきたという意味のリアルなんだけど。

 

 その、アニメの中のリアルという解釈は、元々ジブリの故・高畑勲監督がアニメで追及されてきた、狂気なまでのリアル思考に継承され、それを公言もされていて、根本にその理念があって、富野監督はガンダムを生み出されたんですよね。

 

 それは高畑イズム無くしてはガンダムは生まれなかったって事なんですよ。

 

 例えば、ガンダムを製作する時にTV局側から、こんなの子供は難しくて理解できないって反対されて、しかし、それを押し切って放送まで至った…って言う有名な話しがその高畑イズムを裏付けているんです。

 

 これは富野監督が「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」など「世界名作劇場」制作時に高畑監督から叩き込まれた「子供をバカにするな」という根源的な考えが「ガンダム」を生み出す切っ掛けにもなり、その後もその理念が生きて続いて来たってことなんですよ。

 

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 例えばロボットをロボットと言わずモビルスーツと称した事もそうなんだけど。「鉄人28号」や「ジャイアントロボ」といったキャラクター的なロボットでは無くて、「スターシップトゥルーパーズ(宇宙の戦士)」に登場した「パワードスーツ」をモチーフにしてネーミングしたのが「モビルスーツ」で「人間が使用する道具だ」という位置づける主張がされているんですね。

 

 

 

 

 また「宇宙戦艦ヤマト」「スターウォーズ」「スタートレック」などでは当然のように使用されている、亜空間飛行するSFコンテンツの定番「ワープ航法」のような現実味から飛躍しすぎた表現は一切、富野監督は「ガンダム」では採用されて来なかったんですよ。

 

 そもそも「ガンダム」が宇宙を背景にしたストーリーでは有るけど、太陽系内の木星までしか、人類は到達していないという設定でファーストガンダムが製作されているわけで、それ以上に飛躍した表現はNGという考えて良いと思うんだけど。

 

 まあ、鶴巻監督が「機動戦士gundam gquuuuuux」で「シャリア・ブル」の過酷極まる木星探査のシーン表現などは、「2001年宇宙の旅」よりリアルな表現だったので、たぶん富野監督も大いに評価してくれるとは思うんだけどね…

 

 

 

 こういった空想科学でありながら”リアル”を求める姿勢の表現には富野監督も支持してくれるとは思うんだけどね…

 

 空想科学のリアル、映画「2001年宇宙の旅」のようなリアリティーに基づく設定を試行錯誤しながらストーリーを積み重ねて来られた、富野監督は「ガンダム」でのリアルを追及をおろそかにされた事について、どう思われるのだろうか…

 

 ちなみに「2001年宇宙の旅」と同じく人類の到達圏を木星までと言う設定は、富野監督の確信的に採用されたと思うんだけど…まあ、個人的な考察ですがw

 

 ただ、リアルな空想科学であっても、「2001年宇宙の旅」には「モノリス」という抽象的な神的な表現も登場するし、ファーストガンダムでも「ニュータイプ」という抽象的なエスパー的な表現も出て来るので、ガッツリとした科学に忠実…という分けでも無いんだけど。

 それでも極力リアルである事に徹して富野監督はガンダムを製作されて来た事は間違いないと思うんだよね。

 

 …ところがシャリア・ブルの木星探索記は、まあ良いとして、それ以外の事なんだよ!

 

 まあ「機動戦士gundam gquuuuuux」の世界線が違う平行宇宙「ifの世界」のストーリーまでなら、富野監督も「まあまあ…ウググ…」っと我慢して、流してくれる可能性も有るとは思うけど…

 

 ところが!二つの平行世界パラレルワールドをつなげて「行ったり来たり」しちゃ…ダメでしょうw

 

 さすがは「トップをねらえ!」ではじけた庵野秀明引き入るスタジオ・カラーだから「庵野イズム」で暴走している感じは否めない…

 

 

 

 平行世界どうしの空間転移…これは富野監督が今までガンダムで表現して来なかったワープやテレポートに匹敵する反リアル表現なんですよね。

 

 反リアルと言っても、物理学では平行世界は存在するし「ifの世界」はリアルの解釈の範囲だから、まあ、富野監督も納得してもらえるかも知れない…

 

 ただ、「空間転移」この部分なんだよ。量子レベルでの平行世界との「行ったり来たり」は存在する。しかし、複雑に構成された物が「行ったり来たり」する事は、今のところ超常現象に等しい事だと解釈されているんだよ。

 

 そんなリアルで講釈できない事象を取り入れて、富野監督が貫かれて来た太陽系の範囲を軽々と超える表現を許すとは思えないし、鶴巻監督が「庵野イズム」全開でライン越えしちゃっていると思うんですよw

 

 改めて繰り返し言いますけど鶴巻監督の「機動戦士gundam gquuuuuux」本当に面白いです!好きです!

 

 されど!って言うところなんですよね…

 

 だから、庵野監督の「あいつら、やりやがった!!」には、二つの意味が込められていて、「庵野イズム」を持って鶴巻監督を確信的に暴れさせた疑惑まである。

 

 ◉ 一つは「あいつら、俺がやりたかったけど、出来なかった事をやりやがった」意

 

 ◉ 一つは「あいつら、冨野さんのラインを越えやがった!俺は知らねぇw」意

 

 この二通りの意味が込められた「あいつら、やりやがった!!」だと思うんですよ。

 

 まあ、こうして見れば「庵野秀明ってひどい奴だな」って思うんだけど、個人的な言妄想的な意見ですがw

 

 僕自身は一ファンとして「機動戦士gundam gquuuuuux(ジークアクス)」は本当に面白いし秀作だと思う…これだけは誤解が無いように言っておきますね!

 

 ただ、クリエイターとしての立場、視点から見て。富野 由悠季監督側の視点で見てみれば「大激怒」しても不思議ではないストーリーだという事は間違いないと思う。

 

 まあ、長々といろいろと講釈を並べ立てて書いて来ましたが。

 

 簡単に今回の事を例えるならば「2001年宇宙の旅」の外伝を若手監督に作らせたら「スターウォーズ」になってしまった…という状況がこの「機動戦士gundam gquuuuuux」と言う作品なんですよ。

 

 繰り返しになりますが。物理学的にはワープとか、テレポートとか、こう言う現象は量子レベルなら有ります。

 


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 ただ、人とか、物だとか物質構成複雑なモノが平行世界を行ったり、来たりしちゃ…富野監督がガンダムを創り上げ、長年に渡り守り抜いて来たポリシーが崩壊しちゃう設定なんですよ。

 

 もし鶴巻監督に、富野監督が「二つの平行世界でニュータイプ同士の精神的波動が共鳴するならまだ分かるが、物質が亜空を越えて交わる理屈はどういう仕組みですか?」って説法で詰められたら鶴巻監督はどう返答するんだろうか…ちょっと気になる所ですw

 

 富野監督が守り続けて来た「高畑イズム」とは、こう言う理詰めでのたうちながらアニメを作って来たと言う事なんだと思うんだけど、鶴巻監督は「それ」をどう考えてるのかな?

 

 ちなみに最近、故・三浦 建太郎 先生の名作にして、今も連載が続いている「ベルセルク」の権利を買って「俺流に改変して良いアニメを作ってやる」って言う、クソみたいな海外のネットフリックス系のアニメ監督アディ・シャンカルとか言う奴が、「ベルセルク」ファンたちを激怒させた事件が最近、有ったんだけど…

 

 本当に、これは一歩間違えれば「機動戦士gundam gquuuuuux」も、こう言う事にもなりかねないし、原作物は気を付けて手を付けないと大変な事になったりするんだよ。

 

 少なくとも庵野監督の「あいつら、やりやがった!!」には、こう言うライン越えについての「否」の含みも有るし。

 

 その反面、「俺ができない事をよくやったな!」と言う「褒め」含みも有るので、ちょっとグレーゾーンでは有ると思うけど。

 

 まあ、個人的に「機動戦士gundam gquuuuuux」はガンダムファンとしては大いに楽しいんだけど、作品を「無」から生み出し、そして、育てるクリエイターとしての立場からは「ちょっとこれはダメだよ…」とも思う。

 

 最高におもしろい「機動戦士gundam gquuuuuux」で悩めるガンダムニキたちと「ヤマアラシのジレンマ」でのたうちながらシェア出来たら幸いです。