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クリエーターの脳内思考を垣間見せるブログです!

【ライフスタイル・仕事】シン・クリエーターの”追い込み飯! これぞ明星食品 (改)至極の一杯「バター風味の高菜ごはん」!

 さて、以前に明星食品カップ麺、至極の一杯・シリーズを取り上げてブログをアップしたんだけど。

 

 今回は「シン・至極の一杯」と言う事で、最近、ハマっている仕事中に時短でガッツリ食事できる方法を伝授したい!

 

 その奇跡の方法とは…明星食品、至極の一杯・シリーズから「塩ラーメン」を使用したウマウマ改食法なのである!

 

 

 本当に簡単で申し訳ない事を前置きしたい!

 

 1)至極の一杯・塩ラーメンにお湯を入れ3分待つ。

 

 2)塩ラーメンの麺だけを完食する。

 

 3)温かいごはんを茶碗or丼によそう。

 

 4)高菜の漬物をドサっとごはんの上に載せる。

 

 5)残した塩ラーメンのスープと具をドバ~っと高菜ごはんの上からかける。

 

 …これにて完成!題して「バター風味の高菜ごはん」!

 

 いや~本当に申し訳ないほど簡単だけど、これがも~旨い!

 

 コッテリとしたバターの風味と高菜の酸味が一体となって、これは飲み物か?…と思うほどに胃袋へと消えていく!

 

 これは、お金の無い学生さんなどにはコストパフォーマンスも良いし、空きっ腹を大いに満たしてくれる奇跡の麺&飯のコラボレーションだと思います!

 

 一度、試してみてください!

 

 暇がない、時間が無い、お金がない、そんな皆さんとシェアできたら幸いです!

 

 

 

 

 

 

【アニメ・映画】宮﨑 駿 「君たちはどう生きるか」考察6・最終回「眞人の母たちの正体!」そして「シン・宮﨑 駿」発進!

 アニメ 「君たちはどう生きるか」を誰の考察も公式見解も見ないで自分勝手に考察して来ましたが。今回が最終回となります!

 

 何卒、勝手な考察ですのでご容赦願います。

 

 さて、今回が最後と言う事で アニメ「君たちはどう生きるか」の神髄とも言うべき眞人の母たちの正体を考察していきます。

 

 「母たち?」っとは、実母の「ヒサコ(ヒミ)」と義母の「夏子」の事です。

 

 以前も書きましたが、僕の解釈では母のヒサコは戦争による病院火災では亡くなっていないと言う事なんです。母のヒサコは火災を逃れる為に、大叔父の世界へ転移した…というのが僕の考察でした。

 

 そこをもう少し詳しく考察すると。アニメ 「君たちはどう生きるか」の冒頭の戦火で母が入院していた病院が焼け落ちると言うモノでしたが。この戦火そのものが、我々が認識している、第二次世界大戦の空襲とは少し違うんです。

 

 …戦火を連想させますが。どことなく戦火である事をそれほど強調せずに済ませている感じがします。

 

 加えて、このアニメ自体が宮﨑 駿のアニメ人生を語る自伝的比喩作品だと言う事で、今まで僕は考察してきました。

 

 言うまでも無く日本アニメの夜明けは終戦後からです!

 

 日本でディズニーの「白雪姫」が公開されたのは世界での公開から遅れること5年後の事です。

 

 それを考慮すると、宮﨑 駿がアニメ業界へ踏み込んだ時期は確実に戦争後なんですね。

 

 しかもアニメを志す日本の若者にとって「白雪姫」の公開は、敗戦国の日本とドイツは世界から遅れる事5年…

 

 戦争の影響は無いとは言いませんが。高度成長期を迎えようとしている日本のアニメ発展を阻害する原因が戦争であったというのはちょっとズレがあります。

 

 それなら、アニメ「君たちはどう生きるか」の中で、日本の娯楽活動、アニメ発展を大きく阻害した出来事とは何でしょうか… それは「朝鮮戦争」でも「ベトナム戦争」でもなく。日本の国土を舞台に社会を騒然とさせた「学生運動」では無いかと考察しました。

 

 社会の混乱に加えて、膨大な制作費がかかり。さらに良好な興行収益が得られるかどうかも不透明なアニメに、今のように日本社会がアニメへ寛容では無かった時代に、社会の混乱の真っ只中に映画会社もアニメ製作には消極的だったと考察できます。

 

 直接的には、この部分は表現されていませんが。第二次大戦色を薄める事によって、広い意味で日本社会のアニメ界への希薄差を戦火という表現で示したのでは無いかと考察もできます。

 

 そして、次にヒサコが病院火災で亡くなったのではなく、なぜ大叔父の世界へと逃れたのかと考察したですが…

 

 まず!病院火災前に眞人の母ヒサコの事が表現されていません!

 

 セリフの客観的な情報だけで、何一つ、母にまつわる痕跡が表現されていません!

 

 写真や眞人の脳裏で回想される母の表現すら無いのです!

 

 「どのような容姿なのか…?」「どのような声なのか…?」「優しいのか?」「明るい性格なのか」…

 

 一切、眞人の母としての姿が表現されていないのです!違和感しかありません…

 

 なぜ、一切表現しなかったの…? ここで、ヒサコの存在に対して含みをもたせてたのには、何か意図が有るはずなんです…

 

 因みに、少し「となりのトトロ」の「サツキ」と「メイ」の母の事を思い出してください。

 

 最初、入院中の母の事は描画されず、上記の「君たちはどう生きるか」に対して書いた事と同様に「容姿」「声音」「性格」など、ストーリーの後半の後半になるまで、一切、「サツキ」と「メイ」の母の表現は曖昧にされています。

 

 観客は最後に母が登場するまで、不運な未来ばかりを連想させられてたのではないでしょうか?

 

 しかし最後にはポジティブなエンディングを迎えて「となりのトトロ」は終わりました。

 

 今回のアニメ「君たちはどう生きるか」でも、その母に対する表現と酷似しています。違いと言えばファンタジックな表現をされているぐらいでしょうか…

 

 そもそもアニメ「君たちはどう生きるか」のストーリー中で。母の遺骨の欠片すら発見できなかった…という表現を何故、入れる必要が有ったのでしょうか?

 

 不幸な出来事ならそのまま、そのような事に触れずに流せば良いずですし。生前の母の姿を表現して眞人に対しての母への重要性を表現しておくべきではないでしょうか?

 

 ここでポイントとなるワードは「生前の母の姿の表現が無い」「病院火災で亡骸も発見されなかった」そして、僕の考察が「母・ヒサコは大叔父の世界へ退避した」と言う事…

 

 それは宮﨑 駿 が母・ヒサコを見せたく無かったのです!加えて言うと、生きていなくては成立しない何かの理由が有ったのではないでしょうか?

 

 アニメの冒頭で母・ヒサコの設定を曖昧にしておきたかったという事です!

 

 そして、母のヒサコの表現が無いまま、母と瓜二つのヒサコの妹・夏子がいきなり登場するのです。要するにここで初めて「母・ヒサコの容姿」を表現したと言うことです。

 

 言い換えれば、劇場の観客に初め眞人の実母の姿を公開するかたちです。

 

 なぜ、病院火災以前に実母の姿の表現をしないまま、義母として突然登場した夏子の姿という形で表現したのか…

 

 これには大叔父の混沌とした時間すら曖昧な平行世界とつながるハブと言えるカオスの大叔父の世界。

 

 この大叔父の世界が眞人の母という存在に大きく関わって来るからだと考察します。

 

 それはどう言う事かと言いますと…母のヒサコと妹の夏子は実は「同一人物」である!という考察を立てました!

 

 過去・現在・未来…という普通の時間の流れが捻じ曲げられた大叔父のカオス世界でこそ実現しうる同一人物が同時に存在するという奇怪な現象が表現されていると考察します。

 

 つまり、病院火災から逃れた母・ヒサコが大叔父の世界で改変されて、父・勝一と眞人の前に夏子という人格を持ったヒサコとして現れたと言う事なんです。

 

 ヒサコと夏子が同一人物であるを表現する為に夏子が登場するまで、ヒサコの容姿その他を意図的に宮﨑 駿 は意図的に隠したのです!

 

 宮﨑 駿 の考えとして。母という存在は二人居てはいけないのです!

 

 母は一人で有るべきだと言う事をアニメ「君たちはどう生きるか」でメッセージとして告げようとしていたのかも知れません!そうで無いと意味を無くす何かが有るということが伺えますね。

 

 そのヒサコを改変した夏子が眞人の弟を身籠り、混沌とした大叔父の世界で怪しげな風習の中、出産を待つ儀式の様子からは、母が狂った大叔父の世界の異様な力に染まろうとしている事は表現されていました。

 

 この大叔父の世界の異様さはインコ大王ひきいる軍団の暗躍して悪化し。インコ大王達でも収拾がつかない状態になっています。

 

 要するに大叔父の世界は秩序すら失い、暴走を始め、崩壊が加速しているそういう状況でした。

 

 そんな世界で、夏子、或いはヒサコが眞人の弟を出産されることは回避させなくてはなりません。

 

 ここでようやく今まで自分の事しか考えていなかった眞人は母と弟を救う事が自分の使命であり、自分すらも救う事だと気づいて、全力を傾けるのです…

 

 それこそ宮﨑 駿 がアニメ人生で齢80にして、ようやくたどり着いた境地、或いは答えだったのだと考察します。

 

 そして、救いだした母と弟、そしてこれからも自分を庇護してくれる父達と共に家を出て、再び新しく始まる真人のアニメ人生のスタートをメッセージとして「君たちはどう生きるか」で表現したかったのでは無いかと考察します。

 

 そして、ここで疑問が出て来ます…

 

 救い出した母・夏子、或いはヒサコとは宮﨑 駿 にとって実在する人物は誰の比喩だったのでしょうか?

 宮﨑 駿 にとって「母」という存在は、大叔父(高畑 勲)と同等、或いはそれ以上の存在であるはずです…

 

 しかし、実在の人物として比喩される、高畑 勲と同等、或いはそれ以上と位置付けられる人物の存在が見当たりません。

 

 このアニメ「君たちはどう生きるか」は宮﨑 駿 のアニメ人生を伝える自伝的アニメという視点で、今まで考察して来ました。

 

 なので宮﨑 駿 の実母は対象外としてさせて頂きます。その上で高畑 勲と同等、或いはそれ以上の存在は見当たりません。

 

 そうするとアニメ「君たちはどう生きるか」に登場する、最重要人物の母・ヒサコ、或いは夏子という存在は何だったのでしょうか…

 

 実は母・ヒサコ、或いは夏子は実在の人物の比喩では無いと仮定した場合に浮かび上がる、宮﨑 駿 にとって最重要であり、人生そのものというモノが有りました。

 

 それは、父・勝一を以前、日本テレビを中心としてジブリを庇護して支えて来た企業スポンサーの比喩である事を考察して書きました。

 

 実は母・ヒサコ、或いは夏子も人物との比喩では収まり切らない存在でした!

 

 その母の正体とはアニメ「君たちはどう生きるか」で表現される、宮﨑 駿 真髄!

 

 形が無い「理想のアニメの象徴」即ち、女神の偶像、或いは擬人化された表現であるという考察に至りました!

 

 一度は社会情勢で消滅しかけた女神「理想のアニメの象徴・ヒサコ」

 

 しかし、その難を大叔父の世界へのがれ。存在の完全消滅の危機は回避できたものの。インコ大王の暗躍で崩壊へ向かって加速する世界で、再び消滅が迫る危機に。眞人、ヒミ(幼い母)、若きキリコ、擬人化したアオサギたちと救い出して眞人の世界へと逃れる。

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」はそういう流れの物語だと考察しました。

 

 そして混沌とした大叔父の世界での危機を潜り抜けて誕生したのが「変革された理想のアニメの象徴の女神・夏子」、そして、夏子から産まれた弟こそが「シン・弟」と言う事ですw

 

 「シン・弟」と言う事で存在は濁しておきますが、お分かり頂けるかと思いますw

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」の最後のシーンは父・勝一とヒサコ(改)の義母夏子、そして「シン・宮﨑 駿」と「シン・弟」とで、新しいアニメ人生をおくりますよ…という宮﨑 駿 監督からのメッセージだったと考察いたします!

 

 インコ大王がぐちゃぐちゃにした大叔父の世界で囚われていた身籠った夏子は少しの間でも、インコ大王の影響に晒されていて。眞人の理想とは少し異質なニューエイジとして産まれた「シン・弟」…

 

 宮﨑 駿 は許せなかったインコ大王だったが。ニューエイジで産まれてきた「シン・弟」の才能を認める事によって。少しはインコ大王を許せる気持ちになったからこそ、今回、アニメ「君たちはどう生きるか」を製作する事により、自身の変革を宣言したとではないでしょうか。

 

 過去を許し、新たなアニメ界を生きていく決意をしめした…それがアニメ「君たちはどう生きるか」の真実!

 

 この事こそが、この考察ブログの最初でも書きましたが。アニメ「君たちはどう生きるか」は宮﨑 駿 が自分を許し、過去を許し、新しい自分で、新しいアニメ制作を誓う為の儀式だったのでないかと思います。

 

 今後「シン・宮﨑 駿」が、どんな新しい形でアニメを製作し「シン・弟」とのコラボレーションは有るのか…或いは…自分のアニメスタイルを「シン・弟」へとバトンタッチをするのか…楽しみですね!

 

 さて長々と6回に渡って考察してきたアニメ「君たちはどう生きるか」考察ブログでしたが。僕、個人が誰の考察の影響も受けずに、劇場で鑑賞した直後に悟った事をそのままブログに書き記してきました。

 

 読み違えている部分も有るかも知れません。しかし、鈴木敏夫氏が公開前に発言していた「宮﨑 駿 の自伝的作品」というワードを基準に、宮﨑 駿のアニメ人生の出来事と照らし合わせて考察した結果がこれです。

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」の公開後、宮﨑 駿 の姓を「崎」から「﨑」への改変したり。

 

 日本テレビスタジオジブリを子会社化したり。

 

 宮﨑 駿 監督の新しい作品の製作着手の情報がでたり。

 

 …などなど、僕の考察がそれほど間違っていなかったのでは…などと感じております。

 

 長々とお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 

 今後、「シン・弟」とのコラボレーションは有るのか… 「シン・ナウシカ」又は「ナウシカ2」を自ら製作するのか…それとも「シン・弟」にバトンタッチして託すのか…いろいろと妄想は広がりますが。次の「シン・宮﨑 駿」の動向を興味深々で注目しているファンの皆様とシェアできたら幸いです!

 


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【アニメ・音楽】2023年31日大晦日 「響け!ユーフォニアム」第一期の総集編を見て 故・高橋幸宏(YMO)の「Rydeen(ライディーン)」に思うところ…

 2023年12月31日・大晦日NHKで「響け!ユーフォニアム」第一期の総集編が放送されていたんだけど。

 

 

 まあ「響け!ユーフォニアム」に関してはTV放送当時から観ていて、2024年に新しいシリーズも始まるらしく。今回の放送も何気に見ていたんっだよ。

 

 そもそもが京アニのアニメはほぼ漏らさずに観ているけど。不幸が事件の復帰も応援したいので注目していた放送だよね。

 

 その大晦日から年始まで4日連続でNHKで放送される総集編の一回目が本日の2023年12月31日の放送回だったんだけど。最初も言ったけど、リアルタイムで放送も観ていたので、何気に気楽に鑑賞していたんだよ。

 

 ただ、最初の方で北宇治高校吹奏楽部がマーチング大会で演奏した曲が「YMOイエロー・マジック・オーケストラ)」の「Rydeenライディーン)」だった事が切っ掛けで。いろいろと思うところが湧き出て来たんだ…

 


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 まず、僕にとってYMOはパンクロックの次にハマった音楽ジャンルで。当時、若かった事も有り、青春の一ページと言うか、今でも鮮烈な電子音楽の新しさを放っていたテクノポップの記憶は格別なものが有った。

 

 しかも、この「Rydeenライディーン)」は一番に好きな作曲で。しかも作曲した、高橋幸宏氏は今年、2023年1月11日にお亡くなりになったんだよ。今年のはじめの事だから、その最後を「響け!ユーフォニアム」での使用で1年の締めくくりになるのかな…

 

 デモね…亡くなられた年齢が70歳と言う事で、長寿国の日本では、まだまだ若いと思える年齢なんだよ…本当に惜しまれる。

 

 それからほぼ3ヶ月後ぐらいで、追うように同年3月28日には、同じYMOで活躍した坂本龍一氏も亡くなられた。

 

 立て続けYMOのメンバー二人を見送る事になった、一番年上の細野晴臣氏のお気持ちを考えるとなんだかね…

 

 そんな事もあり「響け!ユーフォニアム」のアニメ総集編を観ていて「Rydeenライディーン)」が流れた後はアニメに集中できなくなった。

 

 そして何故か、後に残された細野晴臣氏の代表曲、しかもYMOの曲じゃなくて、細野さんが若かりし頃に所属していた「はっぴいえんど」の「風をあつめて」が脳裏でヘビーローテーションし続けて、アニメを観ていても頭に入って来なくなったんだ。

 


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 因みに、なんで高橋幸宏氏の「Rydeenライディーン)」でブログに書くまでの気持ちになったかと言うと。YMOの三人の内で一番に好きなキャラが高橋さんだからという単純な事なんだけどね。

 

 じゃ高橋さんの、どの部分が好きだったかと言うと。三人の内で一番、気さくな感じがするからという、こちらも凄く単純な理由なんだけどね。まあ!もちろんファンの勝手な思い込みレベルという事だけは、しっかりと言っておきます!

 

 もう少し具体的に好きな理由を言うと。高橋さんだったら冗談を言っても「それ…どこが面白いの?」っとクールでセンスの良い突っ込みを返してくれそうな感じだから…って言う笑える単純な理由ですw

 

 加えて言うと、同じことを細野さんに言っても「フ~ン…」って流されそうだし。坂本さんだったら「…」と、まったく無視されそうな感じがする…って言う奇妙な解釈を勝手にしているんですw

 

 本当に言っておくけどファンである僕の勝手な思い込みの話しだからね!

 

 ちなみにこれをビートルズに置き換えた場合だけど。(無理くりな感じだけど)

 一番好きなメンバーは「リンゴ・スター」なんだよ。

 

 理由は高橋幸宏氏とまったく同じ理由なんだけど、気さくな感じがするんだよね。まあ、考えて見たら、両者ともドラム担当なんだよねwまったくの偶然の一致だけど、ドラム担当が特別好きと言う分けではない!w

 

 さて、2023年も終わる大晦日に今年、お亡くなりになられたスターたちに追悼の意を込めてこのブログを送りたいと思います。

 

 憧れのスターを送り出す事で年忘れにしたい皆様とシェアできたら幸いです!

【映画】怪獣マニア因子もったオッサンはかく語りき!「ゴジラ-1.0」と「シン.ゴジラ」を比べてもしかたがない!

 最近「ゴジラ-1.0」の世界的ヒットで、前作の「シン・ゴジラ」と比較されて、どちらが良かった…とか、抜いた、抜かれた…とか、いろいろと言われていますが。


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 僕の場合は両方とも一番なんです!

 

 同じゴジラという日本が戦後に生んだ世界に誇るキング・オブ・モンスターをモチーフにしているけど。両方、別の映画なんですよ。

 

 例えば、自動車レースに例えると「サーキット」を走る車と「山野・公道」を走る車は、同じ車というカテゴリーでも「サーキットレーサー」と「ラリーカー」という違いがあるので、同じ車という共通点が有っても、比較評価ができないのと同じで、「ゴジラ-1.0」と「シン・ゴジラ」を同じゴジラでも、同じカテゴリーで評価はできないと言うのが僕の考え方なんですよね。

 

 最初に両方とも一番と書きましたが。どう言う事か説明すると「シン・ゴジラ」は怪獣マニア(庵野秀明)が好きなゴジラの理想をファン作品として制作した…と言うのが僕の認識なんです。子供の頃に観たゴジラと言う怪獣に、理想と思い入れが膨れ上がり「ゴジラという生物はこうなんだ!」という考察・解釈から導き出された理想のゴジラ作品なんです。

 

 一方、「ゴジラ-1.0」は「シン・ゴジラ」に触発されて、東宝が主導で東宝ゴジラを再現しようと「初代ゴジラ」を生み出した会社として命運をかけた作品だと思うんです。

 

 初代ゴジラ以降、昨今のハリウッド版に至るまで、多くのゴジラ作品が公開されて来て、煩雑化してしまったそんなゴジラ東宝が自ら起死回生を目指して。今、実力ナンバー1とも言うべきSFXにも長けた「山崎 貴」監督に託して原点回帰を狙った作品が「ゴジラ-1.0」だと僕は解釈しています。

 

 まあ、要するに「ゴジラ-1.0」は時代背景や内容は「初代ゴジラ」設定とは違いますが。作品としての位置づけは初代のリメイク作品だと思います。

 

 だから、そんな両作品を比較する事は無意味だと思います。

 

 「シン・ゴジラ」は怪獣マニアが求めた理想のゴジラ

 

 「ゴジラ-1.0」はゴジラという厄災を乗り切ろうとする人間ドラマ!

 

 こういう違いが有るのです!

 

 まあ、怪獣マニアの一人の僕だからそう感じるだけで、それほど怪獣にマニアックな感情がなく、興味も希薄な方々には、それほどこだわりを持つ話しではないでしょうが、特撮・怪獣マニアにとっては、非常にこだわりたい部分なんですよw

 

 因みに庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」をなぜ怪獣マニアの作品かと言うと。実は「シン・ウルトラマン」を観れば、よくわかります!例えば、どこが怪獣・特撮マニアが制作した作品なのか…

 

 それは、ウルトラマンや怪獣のCGモデルを見れば、よ~く分かるんです!

 

 実は「シン・ウルトラマン」では、ハリウッド版ゴジラなどのように「リアルな怪獣」を表現していないんですよ。

 

 シン・ウルトラマンでは「CGでリアルに怪獣の着ぐるみ」を再現しているんですw

 


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 特撮・怪獣マニアの人以外はなかなかその面白さは分かって頂けないかも知れませんw

 

 この表現を見ただけで、当日の怪獣ブームに晒されて染みついた、怪獣マニア因子を植え付けられた、当時の子供達の理想と現実が渾然一体となった表現だな~…ってつくづく思うのです。(怪獣マニア因子を持ったオッサン談)

 

 例えば、なぜ、着ぐるみCGで再現んするのか… それは、着ぐるみでは絶対に出来ない動きを再現しなくてはならないからなんです!

 

 当時の子供が夢中になってTVや映画で怪獣を見たその夜…

 

 寝ている時に夢の中で再現、展開される生き生きとした怪獣たちの動きは、着ぐるみだけでは再現されないんです。だから、着ぐるみのCGを使って夢に見た怪獣を再現することになるんです。

 

 そんな夢を見てきた子供たちがオッサンになり、作った夢の再現こそが「シン・ウルトラマン」であり「シン・ゴジラ」なんですよ!

 

 僕はそう解釈しているんです!

 

 だから「ゴジラ-1.0」と「シン・ゴジラ」を比較して優劣をつけるなんて、意味が無いと感じるしだいです!

 

 当時から現在に至るまで、変わらない怪獣愛に満ちた怪獣マニア因子もったオッサンの方々とシェアできたら幸いです!

 

 

【アニメ・映画】宮﨑 駿 「君たちはどう生きるか」考察5・「インコ大王は眞人と大叔父の大敵であり日本サブカルチャーの始祖」

  さて、少し間が空きましたが、今回もアニメ「君たちはどう生きるか」の考察を誰の考察も見ず、公式見解も見ないで、勝手に個人的に考察していきます!

 

 今回もそう言う事なので、何卒宜しくお願い致します!

 

 それでは最初に前回、眞人の世界と大叔父の世界を繋ぐ存在を話しをしましたが。

今回はその二つの世界大叔父の世界の崩壊について考察していきたいと思います。

 

 その前に眞人の世界と大叔父の世界の二つの世界の「時間」について定義付けを確認しておきたいと思います。

 

 実は「時間」というか「時間経過」が二つの世界ではちょっと違います。

 

 眞人の世界は「過去>現在>未来」へと時間は流れて行く我々の世界と類似したかんじです。しかし大叔父の世界では時間そのものが混沌としていて、過去の出来事が、現在の時間へ直結していたりします。要するに時間経過のタイムラグがありません。

 

 例えば、過去の出来事が現在へすぐに影響を与えてしまう…と言う事ですね。

 

 そのタイムラグを踏まえて、宮﨑 駿、 高畑 勲 に実際に起きた過去の出来事が、現在の宮﨑 駿の心境に直接影響を与えた実話の比喩がアニメ「君たちはどう生きるか」で表現されています。

 

 この辺りの事を考察して行きたいと思います。

 

 まあ、宮﨑 駿 の頭の中の世界の話しですから、時間経過などは都合よく、分かりやすく省略されていたり、大叔父の世界が平行世界へのハブ的世界だったりと、いろいろと都合よく二つの世界を結び付けて、自分の人生を表現されている部分が有りますので、ちょっと考察も分かりにくくなるかも知れませんがご了承ください。

 

 先にも書きましたが、眞人の世界は我々の世界を模しているので時間経過は我々の常識的感覚で流れていると理解できます。

 

 一方、大叔父の世界は「混沌の世界」なので常識がカオスで少々説明が必要になって来たりします。

 

 劇中の後半、大叔父の世界で起きた大事件が、その混沌を象徴する出来事になっています。

 

 その出来事というのが「インコ大王」が引き起こした大事件です。

 

 大叔父の世界は理想を求めて、叶わずに迷走状態でした、その隙を縫って「インコ大王」がやりたい放題で大叔父の世界の混沌を更に迷走させていました。既に、それを修正する力も大叔父には無く迷走が迷走を呼ぶ収拾がつかない状態で終焉を待つだけの状態です。

 

 そんな大叔父が最後に自分の出来なかった事(積み木)を眞人へ受け継ごうとした所へインコ大王が現れて、受け渡されるべき事(積み木)を打ち砕いしまってなのです。これで完全に大叔父の世界が崩壊しはじめた…というあのシーンです。

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」を既にご覧になった方なら「ああ!あの事件ね…」と回想された事と思いますが。

 

 そのインコ大王がしでかした大事件が原因で大叔父の世界は崩壊を始め、眞人やヒミ、キリコやアオサギ男が崩壊に巻き込まれないように、眞人の世界、或いは、母のヒミ(ヒサコ)や若きキリコが本来の自分達が存在する平行世界へとのがれました。

 

 ヒミの平行世界は眞人の世界とタイムラインが違うので描かれていませんので、省くとして、眞人の世界に絞って考察しますと。

 

 実は「インコ大王」がしでかした大罪とも言うべき大事件は眞人が存在する時点の世界に対して何十年もの過去の出来事なんです。

 

 先にも書きましたが過去と現在のタイムラグが無い形でアニメ「君たちはどう生きるか」で表現されている部分はこの部分です。

 

 このインコ大王がしでかした大事件を宮﨑 駿 と 高畑 勲に実際に起きた出来事(大事件)に置き換える事で、この大事件が何十年も前の出来事だと解釈できるんですね。

 

 宮﨑、高畑が東映動画時代に起きたその大事件とインコ大王の大事件の表現がリンクすると考察できます。

 

 その実際に起きた大事件とは。日本初のTVアニメ制作について某TV局と高畑 勲など東映動画との間で交渉が進められていたという事実が有りました…

 

 高畑らが東映動画に在籍していた当時、アニメと言えば映画館で上映されるものであって、大人数で制作して、完成すれば、多くのアニメーター達は次のアニメ映画の製作が始まるまでは失業状態になります。その問題に対して対策を考えられていたのです。

 

 しかし映画会社にしてみれば、大人数で制作費もかかるアニメ映画の製作はそんなに頻回にできる事ではないと言うのが現実だったんですね。

 

 そこで考えられた対策が、TVアニメで次の劇場アニメが決定するまで多くのアニメーターを養う…と言う方法でした。しかし某TV局との交渉で、週一での放映を希望するTV局に対して、高畑たちは、アニメのクォリティとそれにかかるアニメーターへの負荷を考えれば。週一放送は無理と言うのが結論でした。なので何とか放映期間もっと長くしたい…っと交渉していたんです。

 

 そして、TV局との交渉がまとまりかけたその時、突然!インコ大王がアニメ制作に立ち上げたインコプロがその交渉の間に割って入って来たのです。

 「私たちなら一週間で出来ます」とTV局の希望を丸飲みして、高畑たちから日本初のTVアニメ制作を横取りして行った……そう言う出来事が実際、過去に有ったんですね。

 

 「日本初のTVアニメ」ここまで書けばインコ大王が誰なのか、お分かりになる方も居られるのではないでしょうか?w

 

 大叔父の世界を自分勝手な思い込みで良いように荒らしていた「インコ大王」が誰の比喩なのか…w

 

 実在のインコ大王が誰なのかは書きませんが、間違いなく日本のサブカルチャの第一の功労者である事は間違いない存在です。

 

 

president.jp

 

 その後、インコ大王のアニメは完成し放映されたのですが、その「日本初のTVアニメ」を目にした高畑と宮﨑は愕然としたそうです…「まるで紙芝居だ…」っと。

 

 ディズニーの「白雪姫」という巨大黒船を目の当たりにした人たちにとってはそうだったのでしょう。

 

 インコ大王も「白雪姫」を見た一人です、しかし、日本初のTVアニメの製作を手中に納める為にアニメのクォリティを捨てたんですね。その事について宮﨑 駿は今まで大激怒していたんです。

 

 それは、もともとアニメ界に居なかったインコ大王だからこそ、踏み越えられた一線だったのでしょう。宮﨑 駿、高畑 勲には絶対に越えられない一線です。

 

 その出来事が長年、許せなかった宮﨑 駿 でしたが、アニメ「君たちはどう生きるか」の中で、自分達が越えられなかった一線を越えたからこそ生まれて来たニューエイジたちの才能を理解できるまでになった事を表現しています。

 

 ただ、そんな紙芝居のような日本初のTVアニメでも、当時の子供(ニューエイジ)たちは熱狂し、今日のマンガやアニメという日本が世界に誇るコンテンツを作り上げ、発信するまでに成長させたその起源で有る事は紛れもない事実です。それを否定する事は出来ません。

 

 インコ大王が世に送り出した「日本初のTVアニメ」が有ったからこそ、今の日本アニメがあるんですね。

 

 今回のアニメ「君たちはどう生きるか」の制作にあたり、宮﨑 駿はその部分を少しは認めたのではないでしょうか…そう私は思います。

 

 そして、そんなニューエイジたちを考察するには「眞人の母・ヒサコ(ヒミ)と義母 夏子の正体」を考察していく必要があります。

 

 今回、インコ大王も大好きだと言う方々とシェアできたら幸いです!

 

 

 

【アニメ・音楽】「千年女優」2024年1月に2週間限定でリバイバル上映!

 今 敏 監督の名作アニメ「千年女優」が来年、2024年の1月にリバイバル上映されるんだけど。

natalie.mu

 アニメ作品としても良い作品なんだけどさ…

 

 コミックナタリーさん!「千年女優」のサウンドトラックも良いでしょう!

記事に音楽を担当した「平沢 進」師匠の事も書いてよ!

 


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 僕が「千年女優」を観ようと思った切っ掛けが平沢師匠なんだよね…

だから記事でスルーされている事が残念で仕方がない!

 

 さて!来年リバイバル上映される「千年女優」に嬉しさを抑えきれない馬の骨の皆さんとシェアできたら幸いです!

 

 

【アニメ・映画】宮﨑 駿 「君たちはどう生きるか」考察4・「大伯父の世界と眞人の世界」ミラクルクリエーター宮﨑 駿の二つの世界を繋ぐ存在と支えてくれた存在

 さて、このアニメ「君たちはどう生きるか」勝手に考察をはじめて第4回になるけれど、何時のも如く、誰の考察も、公式解釈も見ないで勝手に考察しております!

 

 その辺りをご理解のほど宜しくお願い致します!

 

 さて今回、最初に書いておきたいのですが、廃墟から入れる大叔父の世界を夢の世界やファンタジー世界、異世界…などと位置付けて、眞人の住む世界を、我々が住んでいるリアル世界と重ね合わせている方も多いかと思いますが。

 

 ハッキリ言って「大伯父の世界」も「眞人の世界」も天才クリエーター宮﨑 駿の頭の中の異世界ファンタジーなんです。

 

 眞人の住む世界を、我々が住むリアル世界とダブらせて見ても、現実には起こりえないオカルト的な出来事が起こっていたりします。

 

 例えば、アニメの冒頭で戦火により母「ヒサコ(ヒミ)」が病院火災で死亡した…のではなく骨も残さずに消息不明になった…という部分!

 

 現実世界では、そう言う事も遭難事故などでは無くはないが…

 

 こう言う、火事などでは、何がしかの痕跡は残るものだし、そもそも骨も残らない火災って、当時の焼夷弾って炎の温度は何度なんだよ!…って感じになります。

 

 だから、何しろ宮﨑 駿の頭の中の世界の話しだから、その辺はファンタジックに含みを持たせて、人は死なない!或いは若返る!…という基本設定が根底には有るのではないか?…などと考察した次第ですw

 

 そう考えると非科学的に、母、ヒサコが神隠しに遭う現実世界って、現実じゃないでしょう?…w

 

 全ては偉大なクリエーター宮﨑 駿の想像しうるファンタジー世界って事です!

 

 そしてもう一つ、現実にしては、奇異な例として…

 

 ラストで大叔父の世界が崩壊する時…その世界に住んでいた喋る「鳥」たちは、眞人の世界へとのがれて、普通の鳥として飛び去っていく…っと言うシーン!

 

 行方不明の眞人を探す、父・勝一の頭上をかすて飛び去る鳥の種類はどうだろうか…

 

 「普通の鳥」…と言ってもカラスやハトやスズメのように日本の野生で普通に生息する鳥たちではなくて、海外からの外来種の鳥ばかりだった。(当時、大量に存在しないだろう?)

 

 そんな珍しい鳥が大量に私有地の廃墟から突如出現して、空の彼方へと飛び去って行く…

 

 普通に、現実的に考えて、そんなオカルト的な事が現実世界ではおこりえないでしょう?…

 

 ミラクルクリエーター宮﨑 駿がなせるファンタジー世界なのです!w

 

 それらを考慮すれば、「眞人の世界」もまた、非現実世界であり、奇才・宮﨑 駿のファンタジー世界と位置付ける事ができます。

 

 なので我々の住む現実世界と重なて考察すると、考え方にズレが生じてしまうと思うので、私の考察では、両世界ともファンタジー世界として考察していきます。

 

 その事を踏まえて、大伯父の世界と眞人の世界を繋ぐ存在がいくつかあります。

 

 一つ目は勝手に考察の第2回で話した「アオサギ鈴木敏夫)」ですね。

 

 アオサギは大叔父の世界と眞人を繋ぐ案内人的な存在でした。

 

 そして、もう一人、二つの世界を繋ぐ存在がいます。

 

 それは眞人の世界で使用人として働く老婆たち…そして、中の一人「キリコ」です。

 

 もう、たぶん多くのジブリファンの中には、この「キリコ」が実在する誰の比喩か…感づいておられる方も多いのではないでしょうかw

 

 私が考える「キリコ」に該当する実在の人物は一人しかいません!w

 

 東映動画時代から高畑 勲と共にジブリまで宮﨑 駿と一緒に活動を続けてきた、ジブリには欠かせない色職人…

 

 その人は長年ジブリ色彩設計担当をされていた2016年に77歳で他界された「保田道世」さんです。

 

 長寿社会となった日本で77歳はまだ早いと思える年齢です、身近で共にジブリを支えて来た保田さんの死は宮﨑 駿が引退を撤回して「まだまだやれたんだ!」…となるもの理解できます。

 

 そんな「キリコ」に該当する比喩人物は唯一、保田さんしか脳裏に思い浮かびませんでした。

 

 高畑 勲 監督と同じく東映動画時代から苦楽を共にして来た宮﨑 駿のもう一人の先輩!又は「強烈おばさん(By押井守)」…w

 

 そんな強烈おばさんは「眞人の世界」では頑固で偏屈そうな小柄な老婆です。

 

 キリコ婆さんの、見た目の強気なイメージとは裏腹に、眞人が無謀にも廃墟へ向かうその後ろをビクビクしながら、頼りなげに眞人へ引き返すように説得しながら、ドンドンと大叔父の世界の深みへと眞人と共に入り込んで行きます。

 

 そして、大叔父の世界に入って、何時しか眞人の周囲から老婆キリコは姿を消し…

 

 次に現れた時は若返ったキリコとして登場!老婆の時のようにひ弱さは消え、豪傑で男勝りのお姉さんとして現れます。

 

 僕の考察では大叔父の世界では絶大な力を発揮して眞人の世界では、その力は影をひそめる…そして大叔父の世界ではその勇猛な力で眞人を力強く助ける事になります。

 

 スタジオジブリで年齢を感じさせない活躍で多くの作品で色彩担当をされている保田さんそのものだと感じませんか?

 

 このキリコの力強い変化は大叔父(高畑 勲)の世界でこそ発揮されて、生き生きと活躍できる環境で有った事を表現していると感じました!

 

 東映動画を出て、高畑 勲、宮﨑 駿が理想を掲げたスタジオジブリに有ってこそ「保田道世」の真の力が発揮できた…という比喩では無いかと考察します。

 

 亡き「保田道世」へ宮﨑 駿が贈ったオマージュなのでしょうね。

 

 資本主義の会社組織に所属して利益本意のアニメ作りでは、保田さんの力が抑制され、高畑、宮﨑と共に理想本意のアニメ制作環境でこそ、その力は発揮された…そんな感じがしますね。

 

 そして、この男勝りのキリコが絶大な信頼と敬意を持つ「ヒミ」との関係については、考察のキモとも言うべき部分は、また改めて書きたいと思います。

 

 一方、眞人の世界に居る時の「キリコ婆さん」とその他の老婆たちが炉端で肩をすり寄せるように座ってモゾモゾしているシーンが有りましたよね…w

 

 あのシーンは何を表現しているかと言うと…昔の東映動画のスタジオでの作業風景を比喩しているのだと思います。

 

 実際、当時の東映動画のスタジオは一人に与えられる作業スペースは、人の肩幅ほどの仕切り板で区分けされた机でした、そんな、すし詰め状態での作業を強いられていたんですね。

 

 宮﨑 駿が労働組合で何とかしようとしていた事が伺えますね。

 

 その光景を宮﨑 駿は苦しくも楽しかった、当時の東映動画のスタジオをユーモラスに比喩表現したのが、炉端での使用人たちの風景だったのでしょうねw

 

 また、現役を引退したその他の老婆たちは、若いキリコ(保田)と眞人(宮﨑)を一般人として、応援してくれている表現が大叔父の世界で人形の傀儡として表現されていました。

 

 まあ、こんな感じで「キリコ(保田道世)」について考察しました。

 

 そして、その繫がりで少し考察を進めると、使用人たちを雇い、仕事を与えている存在である眞人の父・勝一とは一体どういう存在なのだろうか…っと言う事なんですが。

 少し、その辺りは簡単に考察していきます…

 

 その、父・勝一に該当する人物は存在するのですが…

 

 該当する、象徴的な比喩人物は日本テレビの元金曜ロードショーのプロデューサーだった「奥田 誠治」氏では無いかと考察します。

 

 ご存知の方も居られるかと思うが、奥田氏の娘さんが「千と千尋の神隠し」の「千尋」のモデルだったって事なんですけど。

 その事だけでも宮﨑 駿との関係が深かったと言う事が伺えますね。

 

 ただ、それは「奥田」氏の比喩というだけではなくて、宮﨑 駿を…または、スタジオジブリを支えてくれたグローバルな民間企業の象徴の比喩でもあると僕は考察していて。

 

 その他のジブリに友好的が関係企業の象徴比喩と言う事なんですが。

 

 まあ、殆どの割合を占めるのは日本テレビであって「奥田誠治」プロデューサーなのではないしょうか。

 

 最初に勤めた東映動画などでは、会社と対峙して労働組合のリーダーを宮﨑 駿はしていたので、支えてくれたという部分は薄いでしょうし、その他の所属した会社などでもそれ程、良い思い出は無さそうです。

 

 それと比べれば、スタジオジブリの第一作劇場アニメ「風の谷のナウシカ」が、興行的には大赤字だったにも関わらず。次作の「天空の城ラピュタ」では、9千数百万円もの製作費を投じてジブリを無条件で支えてくれた企業、そして人物であった企業が日本テレビでった…

 

 即ち「父・勝一」は「奥田誠治」であり「日本テレビ」だったのでは無いかと考察します。

 

 僕が、この「父・勝一」が「奥田誠治」プロデューサーでは無いかと考察したのは、劇場で「君たちはどう生きるか」を観ている最中だったんですけど…

 

 その後に、アニメ「君たちはどう生きるか」の公開して間無しに日本テレビスタジオジブリを子会社化する…という驚きのニュースが報道されました。

 

 そのニュースを見た時、「あ~その布石だったのね…」と思いましたよw

 

 既にスタジオジブリが吸収合併される事が土台に有って、アニメ「君たちはどう生きるか」という宮﨑 駿のアニメ人生の総決算的作品を製作して。

 

 今までの宮﨑 駿のアニメ制作スタイルに区切りを付けて、新たなスタイルでこれからアニメを制作していく宣言と自分に一旦の区切りを付ける為の作品がアニメ「君たちはどう生きるか」だったのではないか…と考察します。

 

 今回は結果的に僕が考察する、アニメ「君たちはどう生きるか」という作品の「答え」を先に出した形になりましたが、根本のキモの部分はまだ書いていません。

 

 むしろ、アニメ「君たちはどう生きるか」の答えよりも、答えに至る根本のキモの部分の考察の方が意味が有るので、次からはその根本なキモに迫る考察をして行きたいと思います。

 

 ジブリを支えた「保田道世」氏、「奥田誠治」氏の考察に賛同していただける皆様とシェアできたら幸いです。