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クリエーターの脳内思考を垣間見せるブログです!

【アニメ・映画】宮﨑 駿 「君たちはどう生きるか」考察6・最終回「眞人の母たちの正体!」そして「シン・宮﨑 駿」発進!

 アニメ 「君たちはどう生きるか」を誰の考察も公式見解も見ないで自分勝手に考察して来ましたが。今回が最終回となります!

 

 何卒、勝手な考察ですのでご容赦願います。

 

 さて、今回が最後と言う事で アニメ「君たちはどう生きるか」の神髄とも言うべき眞人の母たちの正体を考察していきます。

 

 「母たち?」っとは、実母の「ヒサコ(ヒミ)」と義母の「夏子」の事です。

 

 以前も書きましたが、僕の解釈では母のヒサコは戦争による病院火災では亡くなっていないと言う事なんです。母のヒサコは火災を逃れる為に、大叔父の世界へ転移した…というのが僕の考察でした。

 

 そこをもう少し詳しく考察すると。アニメ 「君たちはどう生きるか」の冒頭の戦火で母が入院していた病院が焼け落ちると言うモノでしたが。この戦火そのものが、我々が認識している、第二次世界大戦の空襲とは少し違うんです。

 

 …戦火を連想させますが。どことなく戦火である事をそれほど強調せずに済ませている感じがします。

 

 加えて、このアニメ自体が宮﨑 駿のアニメ人生を語る自伝的比喩作品だと言う事で、今まで僕は考察してきました。

 

 言うまでも無く日本アニメの夜明けは終戦後からです!

 

 日本でディズニーの「白雪姫」が公開されたのは世界での公開から遅れること5年後の事です。

 

 それを考慮すると、宮﨑 駿がアニメ業界へ踏み込んだ時期は確実に戦争後なんですね。

 

 しかもアニメを志す日本の若者にとって「白雪姫」の公開は、敗戦国の日本とドイツは世界から遅れる事5年…

 

 戦争の影響は無いとは言いませんが。高度成長期を迎えようとしている日本のアニメ発展を阻害する原因が戦争であったというのはちょっとズレがあります。

 

 それなら、アニメ「君たちはどう生きるか」の中で、日本の娯楽活動、アニメ発展を大きく阻害した出来事とは何でしょうか… それは「朝鮮戦争」でも「ベトナム戦争」でもなく。日本の国土を舞台に社会を騒然とさせた「学生運動」では無いかと考察しました。

 

 社会の混乱に加えて、膨大な制作費がかかり。さらに良好な興行収益が得られるかどうかも不透明なアニメに、今のように日本社会がアニメへ寛容では無かった時代に、社会の混乱の真っ只中に映画会社もアニメ製作には消極的だったと考察できます。

 

 直接的には、この部分は表現されていませんが。第二次大戦色を薄める事によって、広い意味で日本社会のアニメ界への希薄差を戦火という表現で示したのでは無いかと考察もできます。

 

 そして、次にヒサコが病院火災で亡くなったのではなく、なぜ大叔父の世界へと逃れたのかと考察したですが…

 

 まず!病院火災前に眞人の母ヒサコの事が表現されていません!

 

 セリフの客観的な情報だけで、何一つ、母にまつわる痕跡が表現されていません!

 

 写真や眞人の脳裏で回想される母の表現すら無いのです!

 

 「どのような容姿なのか…?」「どのような声なのか…?」「優しいのか?」「明るい性格なのか」…

 

 一切、眞人の母としての姿が表現されていないのです!違和感しかありません…

 

 なぜ、一切表現しなかったの…? ここで、ヒサコの存在に対して含みをもたせてたのには、何か意図が有るはずなんです…

 

 因みに、少し「となりのトトロ」の「サツキ」と「メイ」の母の事を思い出してください。

 

 最初、入院中の母の事は描画されず、上記の「君たちはどう生きるか」に対して書いた事と同様に「容姿」「声音」「性格」など、ストーリーの後半の後半になるまで、一切、「サツキ」と「メイ」の母の表現は曖昧にされています。

 

 観客は最後に母が登場するまで、不運な未来ばかりを連想させられてたのではないでしょうか?

 

 しかし最後にはポジティブなエンディングを迎えて「となりのトトロ」は終わりました。

 

 今回のアニメ「君たちはどう生きるか」でも、その母に対する表現と酷似しています。違いと言えばファンタジックな表現をされているぐらいでしょうか…

 

 そもそもアニメ「君たちはどう生きるか」のストーリー中で。母の遺骨の欠片すら発見できなかった…という表現を何故、入れる必要が有ったのでしょうか?

 

 不幸な出来事ならそのまま、そのような事に触れずに流せば良いずですし。生前の母の姿を表現して眞人に対しての母への重要性を表現しておくべきではないでしょうか?

 

 ここでポイントとなるワードは「生前の母の姿の表現が無い」「病院火災で亡骸も発見されなかった」そして、僕の考察が「母・ヒサコは大叔父の世界へ退避した」と言う事…

 

 それは宮﨑 駿 が母・ヒサコを見せたく無かったのです!加えて言うと、生きていなくては成立しない何かの理由が有ったのではないでしょうか?

 

 アニメの冒頭で母・ヒサコの設定を曖昧にしておきたかったという事です!

 

 そして、母のヒサコの表現が無いまま、母と瓜二つのヒサコの妹・夏子がいきなり登場するのです。要するにここで初めて「母・ヒサコの容姿」を表現したと言うことです。

 

 言い換えれば、劇場の観客に初め眞人の実母の姿を公開するかたちです。

 

 なぜ、病院火災以前に実母の姿の表現をしないまま、義母として突然登場した夏子の姿という形で表現したのか…

 

 これには大叔父の混沌とした時間すら曖昧な平行世界とつながるハブと言えるカオスの大叔父の世界。

 

 この大叔父の世界が眞人の母という存在に大きく関わって来るからだと考察します。

 

 それはどう言う事かと言いますと…母のヒサコと妹の夏子は実は「同一人物」である!という考察を立てました!

 

 過去・現在・未来…という普通の時間の流れが捻じ曲げられた大叔父のカオス世界でこそ実現しうる同一人物が同時に存在するという奇怪な現象が表現されていると考察します。

 

 つまり、病院火災から逃れた母・ヒサコが大叔父の世界で改変されて、父・勝一と眞人の前に夏子という人格を持ったヒサコとして現れたと言う事なんです。

 

 ヒサコと夏子が同一人物であるを表現する為に夏子が登場するまで、ヒサコの容姿その他を意図的に宮﨑 駿 は意図的に隠したのです!

 

 宮﨑 駿 の考えとして。母という存在は二人居てはいけないのです!

 

 母は一人で有るべきだと言う事をアニメ「君たちはどう生きるか」でメッセージとして告げようとしていたのかも知れません!そうで無いと意味を無くす何かが有るということが伺えますね。

 

 そのヒサコを改変した夏子が眞人の弟を身籠り、混沌とした大叔父の世界で怪しげな風習の中、出産を待つ儀式の様子からは、母が狂った大叔父の世界の異様な力に染まろうとしている事は表現されていました。

 

 この大叔父の世界の異様さはインコ大王ひきいる軍団の暗躍して悪化し。インコ大王達でも収拾がつかない状態になっています。

 

 要するに大叔父の世界は秩序すら失い、暴走を始め、崩壊が加速しているそういう状況でした。

 

 そんな世界で、夏子、或いはヒサコが眞人の弟を出産されることは回避させなくてはなりません。

 

 ここでようやく今まで自分の事しか考えていなかった眞人は母と弟を救う事が自分の使命であり、自分すらも救う事だと気づいて、全力を傾けるのです…

 

 それこそ宮﨑 駿 がアニメ人生で齢80にして、ようやくたどり着いた境地、或いは答えだったのだと考察します。

 

 そして、救いだした母と弟、そしてこれからも自分を庇護してくれる父達と共に家を出て、再び新しく始まる真人のアニメ人生のスタートをメッセージとして「君たちはどう生きるか」で表現したかったのでは無いかと考察します。

 

 そして、ここで疑問が出て来ます…

 

 救い出した母・夏子、或いはヒサコとは宮﨑 駿 にとって実在する人物は誰の比喩だったのでしょうか?

 宮﨑 駿 にとって「母」という存在は、大叔父(高畑 勲)と同等、或いはそれ以上の存在であるはずです…

 

 しかし、実在の人物として比喩される、高畑 勲と同等、或いはそれ以上と位置付けられる人物の存在が見当たりません。

 

 このアニメ「君たちはどう生きるか」は宮﨑 駿 のアニメ人生を伝える自伝的アニメという視点で、今まで考察して来ました。

 

 なので宮﨑 駿 の実母は対象外としてさせて頂きます。その上で高畑 勲と同等、或いはそれ以上の存在は見当たりません。

 

 そうするとアニメ「君たちはどう生きるか」に登場する、最重要人物の母・ヒサコ、或いは夏子という存在は何だったのでしょうか…

 

 実は母・ヒサコ、或いは夏子は実在の人物の比喩では無いと仮定した場合に浮かび上がる、宮﨑 駿 にとって最重要であり、人生そのものというモノが有りました。

 

 それは、父・勝一を以前、日本テレビを中心としてジブリを庇護して支えて来た企業スポンサーの比喩である事を考察して書きました。

 

 実は母・ヒサコ、或いは夏子も人物との比喩では収まり切らない存在でした!

 

 その母の正体とはアニメ「君たちはどう生きるか」で表現される、宮﨑 駿 真髄!

 

 形が無い「理想のアニメの象徴」即ち、女神の偶像、或いは擬人化された表現であるという考察に至りました!

 

 一度は社会情勢で消滅しかけた女神「理想のアニメの象徴・ヒサコ」

 

 しかし、その難を大叔父の世界へのがれ。存在の完全消滅の危機は回避できたものの。インコ大王の暗躍で崩壊へ向かって加速する世界で、再び消滅が迫る危機に。眞人、ヒミ(幼い母)、若きキリコ、擬人化したアオサギたちと救い出して眞人の世界へと逃れる。

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」はそういう流れの物語だと考察しました。

 

 そして混沌とした大叔父の世界での危機を潜り抜けて誕生したのが「変革された理想のアニメの象徴の女神・夏子」、そして、夏子から産まれた弟こそが「シン・弟」と言う事ですw

 

 「シン・弟」と言う事で存在は濁しておきますが、お分かり頂けるかと思いますw

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」の最後のシーンは父・勝一とヒサコ(改)の義母夏子、そして「シン・宮﨑 駿」と「シン・弟」とで、新しいアニメ人生をおくりますよ…という宮﨑 駿 監督からのメッセージだったと考察いたします!

 

 インコ大王がぐちゃぐちゃにした大叔父の世界で囚われていた身籠った夏子は少しの間でも、インコ大王の影響に晒されていて。眞人の理想とは少し異質なニューエイジとして産まれた「シン・弟」…

 

 宮﨑 駿 は許せなかったインコ大王だったが。ニューエイジで産まれてきた「シン・弟」の才能を認める事によって。少しはインコ大王を許せる気持ちになったからこそ、今回、アニメ「君たちはどう生きるか」を製作する事により、自身の変革を宣言したとではないでしょうか。

 

 過去を許し、新たなアニメ界を生きていく決意をしめした…それがアニメ「君たちはどう生きるか」の真実!

 

 この事こそが、この考察ブログの最初でも書きましたが。アニメ「君たちはどう生きるか」は宮﨑 駿 が自分を許し、過去を許し、新しい自分で、新しいアニメ制作を誓う為の儀式だったのでないかと思います。

 

 今後「シン・宮﨑 駿」が、どんな新しい形でアニメを製作し「シン・弟」とのコラボレーションは有るのか…或いは…自分のアニメスタイルを「シン・弟」へとバトンタッチをするのか…楽しみですね!

 

 さて長々と6回に渡って考察してきたアニメ「君たちはどう生きるか」考察ブログでしたが。僕、個人が誰の考察の影響も受けずに、劇場で鑑賞した直後に悟った事をそのままブログに書き記してきました。

 

 読み違えている部分も有るかも知れません。しかし、鈴木敏夫氏が公開前に発言していた「宮﨑 駿 の自伝的作品」というワードを基準に、宮﨑 駿のアニメ人生の出来事と照らし合わせて考察した結果がこれです。

 

 アニメ「君たちはどう生きるか」の公開後、宮﨑 駿 の姓を「崎」から「﨑」への改変したり。

 

 日本テレビスタジオジブリを子会社化したり。

 

 宮﨑 駿 監督の新しい作品の製作着手の情報がでたり。

 

 …などなど、僕の考察がそれほど間違っていなかったのでは…などと感じております。

 

 長々とお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 

 今後、「シン・弟」とのコラボレーションは有るのか… 「シン・ナウシカ」又は「ナウシカ2」を自ら製作するのか…それとも「シン・弟」にバトンタッチして託すのか…いろいろと妄想は広がりますが。次の「シン・宮﨑 駿」の動向を興味深々で注目しているファンの皆様とシェアできたら幸いです!

 


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